大阪府の中南端、JR大和路線(関西本線)柏原駅から東へ約1km。生駒山地の南部西麓の扇状台地上の斜面に太平寺という名の集落があります。地名の由来となった太平寺という名の寺院は現在はありません。この太平寺集落には、厨子二階・虫籠窓の重厚で伝統的な母屋や土蔵が迷路のように張り巡らされた細い道を介して密集する、独特な発展をとげた集落です。
建物の外観は漆喰と黒漆喰で統一され、またどの建物を見ても真新しく見えるのは、つねに修復が行われているからです。集落内には新建材の新興住宅は見られず、長い歴史を守り続けるかのような空気が漂っていました。
太平寺は東高野街道に近いものの、純粋な農村集落だったようです。このような重厚な家並みを生み出した財源は、江戸時代に最盛期を迎えた河内木綿の産地であった事があげられます。柏原の中心部、大和川近くには、この大和川舟運で大阪と南河内を結ぶ物流で富を築いた旧家があちこちに散見されます。
明治以降はぶどうの栽培で栄えたようですが、それも昭和初期に最盛期を終えています。太平寺の中心集落の周りには、かつてのぶどう畑跡が広がっていますが、現在は新興住宅地として造成が進んでいます。
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