旧近江町に飯という集落があります。以前に北陸本線の車窓から偶然見つけた町並みでした。米原駅を出てから天野川を渡ってすぐの場所。古くは井村とも書かれていたそうですが、飯という地名は古墳時代の女帝(巫女との説も)飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)に関連のある地であるといいます。
戦国期には飯村または井村と書かれ、麻布の生産や水仙の栽培を名産としていました。北国街道が村の東部を南北に走っているため、街道商いも行われていたようで、「近江真綿」を扱う商家に、特産品の小売業、仲買人に酒造家などがあったと記されています。飯の真綿業は江戸時代後半から盛んになり、明治10年以後に京や大坂に販路が開かれ「近江真綿」のブランドが確立しましたが、ピークは大正5,6年で、その後は急速に衰退していきます。
現在、飯集落は北陸本線によって東西に分断されていますが、集落の東側は天野川の堤防の内側に茅葺き民家と切妻平入りの町家建築がひしめき合って農村集落というよりは一つの町のような印象が強く、一方北陸本線の西側は比較的に家々の間隔にゆとりがあり、街道に沿った街村の様相を呈しています。そして集落の南側に建つ大きな屋敷、かつて「湖北正宗」という銘の酒を醸した多賀酒造の土蔵や醸造蔵、そして門や屋敷が重厚な旧家の佇まいを残していました。
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