奥琵琶湖と呼ばれる琵琶湖北部一帯には、北陸の物資を湖上水運で大津から京へ運ぶ為の中継港がいくつかあります。
敦賀港に陸揚げされた諸産物が運ばれる塩津や海津。小浜から運ばれる諸産物は熊川を通って、保坂から山中の朽木谷を通って京へ陸路で運ばれるルートと、今津から舟運で大津へ運ばれるルートがありました。
鎌倉時代から天然の良港として発達した今津は、秀吉によって繁栄を手にしました。
秀吉が大阪城築城の際、人馬が足りず難渋したところへ今津の民が馳せ参じたことへの返礼の意味で、日本海からの物資の中継地を今津に限定したのです。
伏見城築城時には奥州から運ばれた秋田杉や津軽ヒバが小浜に陸揚げされ、この今津から湖上を渡ったといいます。
また、陸路では小浜へ通じる九里半街道と北陸へ通じる西近江路の追分けとして賑わい、宿場町も置かれました。
しかし、北前船が下関を経由して直接大阪へ乗り入れる、西廻り航路が開拓されると小浜への陸揚げは激減し、今津を始め湖北の港町はことごとく衰退していきました。
今津の浜通りには宿場町時代から今も現役の旅籠「丁子屋」をはじめ商家がいくつか残されていますが、広範囲に点在し街並みの規模は僅かしかありません。
町の南に残されている湖畔の松並木が旧街道の遺構として旅情をさそってくれます。
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