眼病に効験があるとされる浄信寺は、天武天皇の時代に難波の浦に漂着した地蔵菩薩を柳の大木のあったこの地に安置したのにはじまるといい、そこから木之本の名がついたと言われています。そして、木之本は浄信寺の門前町として発達し、やがて余呉郡の中心地へと発展していきました。近世に入り北国街道が整備されると、本街道と脇往還の分岐点として、また東海道へ通じる要衝として重要な位置を占め本陣、脇本陣なども置かれ、宿場内を通る道の中央には水路が設けられていたといいます。
現在その水路はを消してしまいましたが、往時をしのばせる街並みが約700mにわたって続いています。
その街並の途中に木之本の地酒で有名な「七本槍」の富田酒造があります。
450年の歴史をもつ宿場町の造り酒屋らしい重厚な店蔵を構えていますが、ブランド創りやマーケティングなどいろいろ模索して取り組んでいる姿勢がお酒からも感じられる蔵です。
この酒蔵の正面にある薬屋が代々木之本の本陣を務めてきた竹内家です。
その先へ少し行ったところに、もひとつの木之本の地酒「北国街道」の山路酒造が
あるのですが、ここがかつて脇本陣を務めた家で、酒造りは460年の歴史をもっています。この蔵の名物が、古くから旅人の滋養飲料として好まれた「桑酒」。
近江米と麹と桑の葉を独特の方法で焼酎に漬け込んだ往時の「○ポビタンD」?
琵琶湖のはずれには生きた街並みが残されていました。
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