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守山1丁目にある宇野本家
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「京立ち守山泊まり」と言われた守山宿は、京を出発して最初に泊まる宿場町として賑わいました。守山宿は吉身と今宿を加宿とした3宿から成ります。
本陣2軒・脇本陣1軒・問屋3軒・旅籠30軒。
旧中山道は守山市中心市街、駅前市街から離れた場所を通っているため、往時を偲ばせる古い街並みは若干ながら残されてはいるものの、やはり連続性はありませ
ん。しかし、住宅地域に位置する吉身と今宿にはまとまって連続した家並みが残されていました。とは言っても3宿に残る伝統的な建物はいずれも商家建築であり旅
籠など宿場町を偲ばせる建物は見られませんでした。
守山1丁目の街並みには面白い遺構が残されています。「稲妻型屋敷割りの道」
各家を直線的に並べて建てるのではなく、一戸毎に段違いで建てた様式で、中世の城下町などでは市街戦に備えて造られたものですが、ここ守山宿の説明板では防犯上の為に設けられたのではないかと曖昧な表現で書かれていました。
他にも狭い街道筋で各商家の荷車を駐車するスペースとした説もあります。
ちなみに守山の地名は、比叡山延暦寺の東の関門として東門院が創建されたことから、「比叡山の守り」に由来すると言います。織田信長の時代から幕末の動乱に至るまで、常に軍事的要衝でもあったこの地域一帯の歴史を考えると、どうも市街戦を想定した都市防衛の説が的を得ている気がするのですが、太平の世が続いた江戸300年の内に目的が変わっていったのでしょうか。
他にも今宿に残る一里塚は滋賀県で現存する唯一の一里塚で県の史跡名勝天然記念物に指定されています。
守山1丁目でひときわ目を引く建物が、造り酒屋「宇野本家」の屋敷と商家です。
煙抜きの小屋根を備えた伝統的な佇まいの重厚な商家建築ですが、どこか近代的な意匠を感じさせます。宇野本家の創業は明治5年で、初めは「宝泉」を酒銘としていましたが、大正7年の大正天皇への献上を機に、中国の史物に由来する「榮爵」を新しい酒銘としました。
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吉見の街並み |
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今宿の街並み |
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