彦根市の南、近江鉄道本線と近江鉄道多賀線が分岐する高宮は、古くから「お多賀さん」として親しまれている多賀大社参道口に発達した市場町であり、江戸初期からは中山道の宿場町として賑わいました。
宿の中ほどにある石造りの鳥居は「多賀大社の一の鳥居」で寛永12年(1635)に建てられたものだとか。
高宮上布とも呼ばれた織物は、武士の礼服などに用いられた高級素材で、高宮はその集散地として、独自の経済力を持っていました。
多賀大社の一の鳥居周辺には伝統的建築物の商家が軒を連ねています。切妻平入り厨子二階塗籠造り。白壁や黒漆喰、土壁など、建て替えられた年代も違うのか、建物の高さもまちまちですが、湖東地域では最大の町並みといっても過言では無いはず。
往時は本陣一軒、脇本陣二軒があったと言いますが、今は本陣の門を除いて何も残ってはいません。
国道が平行した北側に建設された為に、旧中山道沿いの町並みは残されましたが、この町並みを今後も残す為には、中山道の宿場町よりも多賀大社の門前町とセットで町のコンセプトを企画する事の方が良い効果を生むのではないかと思います。
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