一路一会古い町並みと集落・近畿>和歌山>藤白

藤白
ふじしろ
 古くから知られる湊町と古代熊野路の宿場町
 和歌山県海南市藤白
商家・町家・酒蔵  なし  JR紀勢本線・海南駅からバス
 
 

現在は海草郡下津町を合併した為に市の南端では無くなったものの、藤白は海南市中心市街地の南に位置する藤白山脈と黒江湾に挟まれた準工業地帯です。
藤白という地名は飛鳥時代から見え、万葉集をはじめ多くの歌にも描かれる地であり、中でも藤白峠は熊野路で第一の美景ともてはやされていた風光明媚な湊だったようです。また熊野九十九王子の中でも重要な五体王子の一つ「藤白王子」が祀られ、早くから藤白宿が営まれていたといいます。

江戸期には廻船問屋や自営船主が集まり栄えた藤白湊ですが、和歌山の特権商人による塩田経営も行われ、その後明治期からは旧塩田から埋立による港湾拡張が行われます。同時期に富をもたらした繊維関連の工場が進出、さらに多くの醸造関連もこの地で創業しました。

古代熊野街道と江戸期の熊野街道が合流する場所に建つ藤白神社がかつての藤白王子で、そこに隣接して室町期の曲泉泉と呼ばれる庭園をもつ鈴木邸があります。
この鈴木氏は平安末期に熊野からこの地に移り住み、熊野神社の社家として藤白を支配し、さらに全国3,300もの熊野神社を建立した名家で、さらに全国200万もの鈴木姓のルーツであり、鈴木姓発祥の地として(鈴木さんには)知られています。

藤白に訪れた理由は埋立地の大工場も含め、この地に大小3軒もの酒蔵を始めとして醸造会社が集まっている事でした。最新の設備を備えた酒造会社は埋立地側にありましたが、国道を隔てた内陸側にも廃業した蔵を含めて数軒があります。現在旧熊野街道沿いの古い町並みが整備中で、その中にも現役の酒蔵「島本酒造場」がありました。しかし、保存整備が行われている街道沿いの周辺は新興住宅地として開発が進行中であり、再生された"町家"も市の施設が入居している状態で、町並み保存の難しさを違った形で見つめる事となりました。

 
 
 
 
旧熊野街道は右の角に立つ石の標識を軸にジグザグの桝形に進む
旧熊野街道沿いの町並み
 
海南市藤白の酒蔵          
清酒 「紀伊国屋文左衛門」

中野酒造BC

和歌山県海南市藤白758

0734-82-1234

清酒 「功乃鷹」 山西専太郎商店

和歌山県海南市藤白19

0734-82-4695
清酒 「御代正宗」 島本酒造場 和歌山県海南市藤白54 0734-82-0017