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紀伊日置
きい ひき
 木材廻船の寄港地として栄えた港町
 和歌山県西牟婁郡白浜町日置

商家・町家  なし  JR紀勢本線・紀伊日置駅からバス
 
 

奈良県との境、果無(はてなし)山脈の南麓に源を発し、国内きっての降雨量を誇る紀伊山地の支流を集めながら激しく蛇行し、紀伊水道に注ぐ日置川は「日置三郎」の異名をもつ南紀の三大河川の一つで、その河口右岸形成された砂丘上に日置の町があります。

日置は古くは「へき」とも呼ばれ、日置川流域から切り出される木材の主産地・積出港として発展した港町です。町には藩の「二分口役所」が置かれ、日置川上流の市鹿野に置かれた
「御仕入方役所」と会わせて、木材や炭、薪などの統制が行われていました。

これは耕地に恵まれず、また沿岸部においても漁業的にも振るわない地域の特性から、諸産物や加工品を年貢として納め、それを管理する役所が、廻船の寄港する日置に置かれていたのです。それでも日置川流域では最も大きな町場が形成・発展していました。

昭和11年に開業した紀伊日置駅は、町の玄関口であるにも関わらず、町の中心から3キロも離れていて利用客は多くありません。最もこれは、この地域の町と町がいずれも山越えを必要とする険しい地形ゆえに仕方の無い事だったのですが。

現在の主要交通路であり、旧熊野街道を踏襲する国道42号線は日置の市街地を大きく迂回。町の中心市街といっても、商店街も繁華街も無い小さな漁村集落の様相です。
そんな隔絶されたような日置の町は、まるで明治・大正期にチルド保存され現代に至るような町並みが残る町、いや集落だったのです。おそらく、南紀で最も質の高い町並みが残る町といっても過言ではありません。

これほどの町並みを有する日置町ですが、特に保存の動きは見られません。しかしながら、なにかしらの対応は望みたい、稀少な町であると思います。