日本一梅の里として全国にその名が知られる和歌山県みなべ町。約8万本と日本最大の「南部梅林」に、高級梅の「南高梅」、さらにその副産物であり高級炭の「備長炭」といったくらいだ。
みなべ町(旧南部町と南部川村が合併)は和歌山県の中部、紀北地方と紀南地方の境界、南部川の河口に位置する町で、海岸沿いを走る旧熊野街道沿いに発展した町です。
南部の読みは「なんぶ」では無く、「みなべ」。「万葉集」には「三名部の浦」が記され、歴史の古い港町であり、「三奈倍」や「美奈部」とも書かれていましたが、室町期、高野山領の時代には「南倍」や「三鍋」と書かれています。
町の中央を熊野街道が通り、古くには熊野九十九王子社の一つ三鍋王子がありましたが、明治10年に須賀神社へ合祀され、現在JR南部駅の北西側に王子神社として所在します。
駅から徒歩五分、細長い商店街がかつての熊野街道で、この道に沿って南道と北道とわかりやすい地名が挟みます。南部町は熊野街道・紀南地方の玄関口であり、また南部川上流への分岐点として賑わった町で、この旧道沿いに連続性はありませんが、往時を偲ばせる古い建物が多く残ります。
江戸時代に南部の特産品として江戸へも運ばれた梅ですが、全国にその名が知られるようになるのは昭和に入って「南高梅」が登場してからのこと。「南高梅」は明治期に果実の大きな梅を生み出した高田貞楠と、時を経る昭和30年代にそれを発見し、商品化へと結びつけた「梅優良母樹種選定会」の調査委員長を務めた竹中勝太郎が教鞭をとっていた南部高校からその名が付けられたものです。
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