一路一会古い町並みと集落・古都>京都>(市域)

神足
こうたり
 永井家2万石長岡藩の陣屋町に始まる西国街道沿い町並み
 京都府長岡京市神足・開田
商家・町家・土蔵  駅前施設  JR東海道本線(京都線)長岡京駅
 
国登録有形文化財の旧石田家住宅
 

京都市の南西、大阪府との県境に位置する長岡京市。市名は奈良時代後期に、桓武天皇の勅命によって、この「長岡」の地に、784年(延暦3年)から794年(延暦13年)までのわずか10年間だけ存在した都に由来します。もっとも長岡京そのものは、大部分が現在の向日市域にあったのですが、この地域が長く「長岡」と呼ばれ続け、昭和47年に旧長岡町が市制へ移行する際に、新潟県の長岡市との混同を回避するため、「山城長岡市」などとはせずに、歴史的にも知られた「長岡京」の名を選んだのです。

長岡という地名は、京都市西京区と向日市の境を南北に延びる「西ノ岡丘陵」の事を指して生まれたもので、古くは現在の桂から向日、大山崎にかけての一帯を指す地名でもありました。

再開発が進み、高層ビルが建設中のJR長岡市の駅前に、幹線道路の主要地方道西京高槻線に沿って、南北に併走する旧西国街道沿いに往時を偲ばせる町並みが、奇跡的にも残されていました。この地区は「神足」といって神足神社に由来します。古くは神足を「こうたり」と「こうだに」と読み、地名は「こうだに」、神社は「こうたり」と区別していましたが、現在は「こうたり」に統一されているようです。

この町並みは旧西国街道に沿って形成されていますが、公の宿場町ではありませんでした。江戸時代初めにこの地に封じられた永井直清2万石の山城長岡藩・陣屋町として、街道筋に陣屋町がつくられたのが始まりのようです。
その後永井家はこの長岡から摂津高槻藩に3万6,000石で加増移封しますが、依然として街道沿いに商家や旅籠が立ち並び、同街道の宿場的な役割を果たしていました。

JR長岡京駅西口の再開発によって大型商業施設やビルが建設さる中でも、旧西国街道筋は石畳舗装をされるなど、市は史跡の景観保存に配慮を見せているようでした。