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久美浜
くみはま
 丹後半島の西に残る廻船業で栄えた風光明媚な天領の町
 京都府熊野郡久美浜町本町 【京丹後市久美浜町本町】2004年合併
豪商屋敷・町家・土蔵・酒蔵  久美浜駅・町役場  KTR久美浜駅
 
豪商・稲葉本家住宅
丹後半島最北端にある久美浜は、波一つ無い湖のように穏やかな久美浜湾に臨む町。
小さく口を閉ざした湾の入口にはミニ”天橋立”ともいえる小天橋があり、近くには久美浜温泉も湧く。町の中心部を流れる久美谷川沿いには柳が茂る風光明媚な水辺の町。
丹後・但馬海岸の中心にあった久美浜はかつて小西家を中心とした廻船業で栄え、天領時代には久美浜代官所が置かれていました。北前船で栄えたこの久美浜は、本座屋(小西家)、新屋・下屋(小西分家)木下、五宝などの五軒家と呼ばれる豪商達を排出します。

はじめ一色氏の家臣だった小西家は、武士の身分を捨て徳川家康の自由商業時代に朝鮮半島や中国大陸との国際貿易で巨利を博し、鎖国以後は北前船による沿岸貿易に従事し酒造業や金融業へと事業を広げその富を蓄積していきました。
ところが、幕藩体制の終焉が近づく幕末ごろから各藩は久美浜の五軒家から借入を行っていくのですが、時代は大きく変化して明治維新を向かえるにあたり、大名家への莫大な貸付金は全て不良債権となってしまいました。これを救済する為に、明治政府は暫定的な措置として五軒家に「五軒家札」の発行を認めますが、これもまたその場しのぎの政策であり、明治5年の発行禁止による取り次ぎによって久美浜商人は没落へと追い込まれます。

久美浜は平安時代からすでに丹後有数の人口を抱えた都市であり、室町時代から桃山時代にかけて行われた町割りは今に残ります。
本町商店街を始め久美浜中心部には切妻妻入り2階建ての商家や町家の街並みが続いていますが、それほど歴史の古い建物は見あたりませんでした。その中で文化財に登録されている豪商稲葉家の屋敷が久美浜全盛期の遺構を残しています。
現在の建物は明治23年に5年の歳月をかけて建てられたものといいますから、五軒家が没落した後に誕生した新興商人と言うことになります。
 
 
 
 
 
 
栃谷川から久美浜湾を臨む
久美浜の酒蔵          
清酒 久美の浦 熊野酒造 京都府熊野郡久美浜町45-1 0772-82-0019
清酒 玉川 木下酒造 京都府熊野郡久美浜町字甲山1512 0772-82-0071