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園部
そのべ
 小出家園部藩2万6000石の陣屋町
 京都府船井郡園部町本町  【南丹市園部町本町】2006年合併

 構成:商家・町家 ■ 駐車場:なし
 
本町通りの町並み
山陰道の宿場町でもあった園部は、江戸時代に小出園部藩の陣屋町として発展し、口丹波地方における政治・経済・文化の中心地として栄えました。

豊臣大名であった小出秀政と長男の小出吉政は関ヶ原の戦いで敗れますが、二男の小出秀家が家康の旗本として活躍したために、小出家は但馬出石の6万石の旧領を安堵されます。その後小出家は宗家出石藩と和泉岸和田藩とに分かれますが、相続による入れ替えの中で、小出吉親が但馬出石から園部に移り園部藩が成立します。
園部藩は2万6000石の陣屋町で一度の国替えも無く、10代続いて明治を向かえました。

陣屋町にすぎなかった園部城の存在ついて特筆すべき事があります。幕末から明治維新への幕末の変動期にかけて、諸藩とも廃城へと動くなか園部城には大改築が行わていました。園部藩主小出英尚は孝明天皇の皇后九条夙子を守護する京中見廻役の任についており、都が万が一戦場となった場合は、明治天皇を山陰道から安芸・備後方面に脱出させ、同時に諸国に檄を飛ばして勤皇の軍編成する計画が立てられていました。こうした中で、園部城は明治天皇の臨時行在所と目され、ひそかに整備されていました。結局園部城は使用されずに終わっています。

上本町、本町、新町と続く園部の商家建築は妻入りと平入りが混在しています。
平行する若松町筋には入母屋造りの商家がありました。
建物の状態は良いとは言えませんが、悲惨な状態でもなくむしろ商店街を形作るさまざまな要素に飲み込まれてしまう今後の事が懸念されます。
街並みは比較的に連続性を持っているので、住民と行政が一丸となって行動を起こせば、美しい街並みが再生するのではないかと思いました。
 
 
 
 
 
 
 
若松町筋の町並み