地名は「よさ」ではなく「よざ」とにごり、中世には余佐と書かれていました。与謝郡の地名発祥の地です。与謝は東に大江山を境として加佐郡大江町(現・福知山市)に接し、西は笠山山地を境に兵庫県出石郡但東町に。南は赤石岳を境に福知山市と接する加悦谷の最南端に位置する谷口集落で、古代の山陰道はこの与謝を通り山河(さんご)に勾金(まがりがね)駅があったとされています。
与謝と聞いてまず思い浮かべるのが江戸期の俳人・画家の与謝蕪村です。この地は与謝蕪村の母方の地であり、はじめは谷口の姓であった蕪村はたびたびこの地を訪ねて与謝姓に改称しました。
峠をひかえた勾配のある地形のわずかな平坦部を旧道は走り、そのみち沿いに街村を成している与謝集落。商家は少ないものの、二軒の酒蔵が今も酒造りを行っています。
与謝集落の中心に建つ谷口酒造
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