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上御霊前通
かみごりょうまえどおり
 応仁の乱の勃発地である御霊神社(上御霊神社)門前から始まる通
 京都府京都市北区出雲路俵町〜北区紫野東藤ノ森町(加茂街道ー智恵光院通)
 
 
 
上御霊前通は上京区最北端を東西に走る路で、上御霊神社とも呼ばれる御霊神社の門前を通ることに由来しますが、実際には御霊神社を越えたさらに東、賀茂川右岸の加茂街道から始まり智恵光院通に至る約2kmほどの短い通です。

道筋は交差する南北の通でジグザグに屈曲しており、小規模な商店街や住宅街、そして寺町など、いろいろな沿道を風景を有しています。
東陣が置かれた場である。

古くから疾病除の霊社として知られる、御霊神社は、桓武天皇が政争に敗れて不慮の死を遂げた崇道天皇(早良親王)の怨霊を鎮める為、平安遷都の際に建立したのが始まりだと言われています。毎年5月18日には氏子が集まり賑やかな祭礼が催され、さらにそれ以外の月の18日には境内で露天市である「さえずり市」が開かれます。
正式な名称は御霊神社ですが、中京区寺町通丸太町下ルにある下御霊神社に対応する形で上御霊神社とも呼ばれています。

この御霊神社の境内で、応仁元年(1467)正月、畠山政長と義就の合戦が始まり、応仁の乱の発端となった場所でもあります。やがて畠山氏内部の家督争いは細川勝元派(東軍)と山名持豊派(西軍)の守護大名の争いへと発展し京の町を焼き尽くす事になります。

御霊神社には細川派・東軍の陣地が置かれた為に「東陣」と呼ばれていました。一方で山名派の西軍の陣地が置かれた場所が、後に織物の町として再生する西陣と呼ばれる地域なのでした。

 
 
 
 
突き当たりの室町通で南に屈曲
「応仁の乱」の勃発の地となる御霊神社