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三条通
さんじょうどおり
 東海道の終起点・西洋建築のオフィス街と長く京の中心であった通り(元・三条大路)
 京都府京都市東山区小物座町〜右京区嵯峨天竜寺
 
 
 

東海道五十三次の終期点は”三条大橋”。三条通は東山から京の中心部を東西に抜け、西山の嵐山”渡月橋”に至る古くからのメインストリート。東は三条大橋の先、東海道の出入口は「京の七口」の一つの「粟田口」と呼ばれていました。

平安京の三条大路がその前身で、当時から平安京のほぼ中央を東西に走り抜けていました。
天皇の里内裏が置かれていたこの通りも、平安後期から次第に商工業の町へと変わり、やがて四条町・七条町と共に京都の代表的な中心街へと発展していきました。
戦乱によって荒廃した京の町の中で、最も早く復興したのもこの三条通だと言われ、三条大橋は豊臣秀吉によって大改修が行われ、それは現在の橋よりも長いものでした。

江戸期に東海道を初め、諸街道が整備されると三条通はより一層、商工業が盛んになっていきます。明治になっても京をリードする中心街である事は変わらず、文明開化・近代化のさきがけとして、通には市電が走り、西洋建築による最新のオフィス街へと姿を変えます。

こうして、長く京の中心街として繁栄し続けていた三条通も、市電の廃止と共にその地位を4本南の四条通に譲り、東海道も現在の五条通が新道となってその役割は終焉を迎えてしまいました。

現在の三条通は東山区の小物座町から右京区嵯峨天竜寺に至る約11kmを指します。
しかし、東京の丸の内でも失われてしまった、レンガ造りの西洋風オフィス街の通は、現在までに大切に引き継がれ、レストランやブティックなどの店舗が建ち並ぶ観光スポットとして賑わっています。この町並みは河原町通から烏丸通にかけてで、烏丸通から堀川通にかけては落ち着いた裏通り、伝統的な町家も所々に見られます。そして堀川通から千本通間は一転してアーケードに覆われた三条商店街。さらにその先は嵐山・太秦方面に至る幹線道路へと姿を変えていきます。

 
中京郵便局
京都文化博物館別館
 
 
 
御幸町通との辻に建つ「1928ビル」