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錦小路通
にしきこうじどおり
 京都の台所と呼ばれる市場とその通り
 京都府京都市中京区東側町〜壬生坊城町(新京極通ー壬生通)
 
 
 
「京都の台所」と呼ばれ、地元客や国内外の観光客で賑わう「錦市場」は四条通の一筋北を東西に走る錦小路通にあります。市場はアーケードに覆われ、東は寺町通から西は高倉通までの約390m。道幅3mの石畳に約130軒あまりの青果店、鮮魚店、乾物店、惣菜店などが並びます。

この錦小路通は錦市場のさらに東、新京極通に面する錦天満宮正面から西は壬生川通までの約1.8kmの路です。江戸時代は寺町通から大宮通りまでしかありませんでした。

「錦小路」と華やかな通りの名ですが、実は面白いエピソードがあります。平安時代のこの通りには武具を使う店が多かった事から”具足小路”と呼ばれていました。ところがこれが転訛してか揶揄してか、しだいに”糞小路”と発せられるようになっていきす。

これを汚いと、時の帝の勅命で四条通をはさんだ南筋の「綾小路」にちなんで錦小路と改められたのです。

平安京の衰退した室町期においても、10軒にも及ぶ酒屋や多種多様な商店が並び、京都有数の商業街に発展していきました。

本格的な魚市場となったのは江戸時代に入ってからで、元和年間(1615〜1623)に幕府より魚問屋の称号が許され、その後都では上の店、錦の店、六条の店の3ヶ所が最も繁栄を極めたといいます。これを三店魚問屋と称しました。さらにその後、魚問屋の隣りに青物市場も開かれ、特に公儀の鑑札を有する錦の店の商人は独占的な営業で発展し続けていったのです。
 
 
錦市場のアーケード内にも古い商家が残っています
 
 
 
 
錦小路通は西に行くにつれえ町家の年代が遡ります