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寺町通
てらまちどおり
 秀吉によって整備された寺町も今はその姿は無し(旧・東京極大路)
 京都府京都市北区堀池町〜下京区西橋詰町(鞍馬口通−五条通)
 
 
 
寺町通は一筋東の河原町通と共に鴨川西岸に沿って、北区から五条通まで京都市街を南北に縦断する延長約4.6kmの通りです。平安京における洛中最東端の路で、東京極大路にあたります。当時の東京極大路は一条通がその北端でした。公家や武家の屋敷が建ち並ぶ通りでしたが、戦乱によって荒廃し、その後豊臣秀吉の洛中改造によって再開されました。市街地の拡大と共に北は鞍馬口通まで延伸、東の防衛線として洛中の寺院がこの通りの東側に集められたことから、寺町通と呼ばれるようになりました。

寺社の数は最も多い時期で117を数え、これは当時の洛中の寺院のおよそ1/3にあたります。しかし、宝永5年の大火でその2割が焼失。さらに秀吉無きあと寺院の多くが鴨川の東へと移転していった為に、現在のこの通りには寺町と呼べるような寺院が軒を連ねる風景は見ることができません。

寺町通は明治に入り、五条通から南へも延伸され、新寺町通と呼ばれていましたが、この区間はその後、河原町通の拡張延伸によって取り込まれてしまい消滅します。五条通の南側に寺院が集まる地区がありますが、ここは平安期の河原院跡地に造られた寺町で「下寺町」と称されています。

明治五年に寺町通と裏寺町通の間に小路が開かれ、平安期の通の名を取って新京極通となり繁華街としての賑わいは今に至ります。

南北に長い寺町通はいくつもの表情を持ちます。まず五条通から四条通にかけては、この通りで最も町家が残されている場所です。四条通から御池通にかけては一部アーケードの商店街を形成、その先御所の東側を抜けて今出川通を過ぎると、再び郊外型の商店通りとなります。古い町家はあまり残されてはいません。
 
 
 
 
 
写真は全て「四条通」から「五条通」の間の町並みです2010.1現在