「神末」と書いて”こうずえ”と呼びます。三重県との境に位置する奈良県最東端のこの集落は、名張川の源流に位置する事から古くは「河の末」または「上津江」と呼ばれ、のちに「神杖」となり、江戸時代頃から神末と書かれるようになりました。
ちなみに神杖と呼ばれた時代に御杖神社が起こり現在の御杖村の村名に通じます。
京・大坂をはじめ西国方面から大和国を横断し伊勢神宮へ至る伊勢街道。途中、同じく人々の厚い信仰を集めた長谷寺(桜井市)へ至る道でもある事から「初瀬街道」とも呼ばれています。長谷寺に詣でた旅人は、次ぎに伊勢神宮をめざしました。長谷寺から先、萩原で伊勢街道は2つのルートに分かれます。現在名張街道とも呼ばれる、伊勢街道「青越道」と山間部を抜ける伊勢本街道がそれです。
萩原から別れた伊勢本街道は高井・諸木野の集落、そして石割峠を越えて田口・山
粕・桃俣・土屋原・菅野の宿場村を経てこの神末に辿り着いて伊勢国(三重県)へと入ります。
神末は伊勢本街道における大和国最後の宿場町であり、天保3年(1832)に太神宮常夜灯が設けられ、旅籠屋を初め飯屋・茶屋・酒蔵などが建ち並び賑わったと言われます。この常夜灯があるあたりを町家といい神末川を挟んで左岸を「西町」、右岸の町場を「東町」といいます。東町と西町をつなぐの橋の正面には旧旅籠屋今西家邸が今も残されています。かつて神末には「今西家」のほかに「ほうのや」「印判屋」「神保屋」などの旅籠屋があったと言われています。
国道から遠く離れた神末の旧伊勢本街道筋には、数軒ではあるものの平入りの民家が軒を連ね、往時を偲ばせる風景を残していました。
|