上街道 (古道上ツ道)は奈良盆地を南北に縦断するために整備された幹線道路。現在の国道169号に相当します。古代上ッ道は飛鳥時代に整備されその道路幅は発掘調査により43mと推定されています。しかし平城京の遷都と共に衰退し荒廃していきました。江戸時代に再整備された上街道は古代上ッ道を踏襲していますが、そのルート異なりは天理市以北では大きく異なるルートが新設されました。上街道はのどかな街道風景が残る国道169号線とJR桜井線の間に併走しています。
上街道が奈良町市街区でどのように整備されたかは不明ですが。猿沢池から南に真っ直ぐに伸びる道に接続しています。この道筋は最盛期には東大寺や興福寺とならぶ勢力を誇った元興寺の境内西側を貫いています。
奈良が政治的な機能を失って時が経った近世の上街道は、参詣と商業の道として人や物資が行き来していました。奈良町を東西に抜ける上街道沿いには大きな商家が立ち並んでいます。
元興寺町
芝新屋町
芝新屋町(しばのしんやちょう)この一帯はかつて元興寺の境内で、その後元興寺の衰退と荒廃した境内にあたらしい町が作られていきました。この周辺の「新屋町」のつく地名はそれにあたります。
中新屋町(なかのしんやちょう)
中院町にある和菓子の名店「樫舎」
勝南院町
勝南院(しょうなみ)は古くは松南院・小波、塩波院や正南院とも書かれ、地名の由来は昔この場所にあった池、汐浪井にちなみそれが転訛したものという説があり、その他元興寺の勝南院か興福寺の別院・正南院に由来するとも言われています。
今御門町
猿沢池のすぐ南に位置する今御門町は上街道の起点。古くは大乗院門跡地で、地名は奈良七御門の一つ元興寺の北門があった事に由来します。
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