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奈良町

ならまち

奈良県の中心部は平城京の外京・元興寺の境内に発展した商都

奈良県奈良市「ならまち」地区

 



千年以上もの歴史を持つ日本の古都「奈良」。平安期から近世まで長く日本の首都として栄えた京都にくらべると、観光的にも経済的にも一歩控えめな印象がありますが、「古い町並み」という視点で捉えると、現在の京都をはるかに凌ぎ、質も密度も濃い町家や商家の家並みが残されています。 奈良市の中心部、猿沢池の南側に広がる”ならまち(奈良町)”は歴史的・伝統的な町並みが残る地域の通称で、行政上の地名ではありません。ほぼ全域が平城京時代の元興寺の旧境内にあたり、江戸時代から明治期に建てられた貴重な建造物が数多く残され、奈良市の都市景観形成地区に指定されています。(国の重伝建には指定されていません)




平城京は現在(へいじょうきょう)と読みますが、元は(ならのみやこ)と読みました。「平城」が転じて「奈良」となります。 現在の奈良市の中心部発展の基礎となった「ならまち」地区。この一帯はかつて平城京の外京として多くの社寺が置かれた地区の中のひとつ、元興寺の境内に造られた町でした。つまり現在の奈良市の中心部は当時の平城京ではありません。平城京があった場所は現在の大和西大寺付近です。



さて広大な寺域を有した元興寺も天変や戦火で衰退し、現在は奈良町地区の南側に点在して残ります。 「奈良町」を形成する町名に宗教的な意味合いのものが多いのもそれに由来します。「奈良町」は時代が進むに連れて町場が拡大し「新」の付く地名は新興の町を意味しています。

都市の限界が訪れた平城京(奈良)は長岡京(京都府長岡市)を経て平安京と山城国(京都府)に遷都することになります。廃都された平城京は荒廃し、荒野や田畑に姿を変え、当時碁盤の目状に張り巡らされた坊城制もその姿を消していきます。平城京の外京に寺社を維持運営する職人や商人が住んだ寺内町的な性格を持った奈良の町は、鎌倉時代ごろからは次第に商業都市へと発達していきました。秀吉の時代になると奈良町は諸商売を禁じられ、大和の商都は郡山城下へ移されますが、 江戸時代になると大久保長安のもとで奈良町は再興しました。この時の奈良町は奈良奉行直轄の137町と寺社領68町の計205町となり、町の人口は実に3万5000人を越えていました。




「奈良町」の商都としての繁栄は江戸後期になると次第に衰え始めていきますが、変わって寺社への参詣客の増加に伴い、早くに観光的な門前町へと姿を変えて行くことになります。 しかし、明治元年に施行された神仏分離令により奈良の寺社は打撃を受け、寺や町場は再び衰退し荒廃に向かってしまいます。さらに奈良県が廃止され大阪府に編入されると、県庁舎をはじめ官庁も廃された事が追い打ちをかけます。

しかし明治20年に奈良県が復活。鉄道の開通によって奈良は再び観光客が押し寄せ、発展の足がかりをつかみました。その後、近代日本の発展と共に奈良の町も大きくその姿を変えて行くことになりました。








酒蔵情報

清酒

「春鹿」

今西清兵衛商店

奈良県奈良市福智院町24-1

0742-23-2255

清酒

「升平」

八木酒造

奈良県奈良市高畑町915

0742-26-2300