「京街道」と呼ばれたこの道は古来より大和(奈良県)と山城(京都府)を結ぶ、重要な幹線道で、平城京の東端を南北に通っていた東七坊大路(東大寺と興福寺の寺領の境をなす道)の延長に接続していました。現在は「奈良阪」と書きますが、明治前期までは「奈良坂」と書かれていました。
当時の奈良阪は奈良町の北の玄関口で、平城山(ならやま)低丘陵沿いに形成され、山城と大和の境界でもありました。京と奈良を結ぶ京街道は西の歌姫越と東の奈良坂越の2ルートがあり、この奈良阪越は般若寺越えとも呼ばれていました。歌姫越は平城京の中央から北へ延びる道で、現在の県道木津平城線にあたり平城京成立と共に古い歴史を持つ道筋です。一方でこの奈良阪越は七坊大路を北へ延伸した峠道で、平安期ごろから東大寺参詣やその先の伊勢街道へ至る路として交通量の多い道でした。国道は奈良側の今在家で旧京街道の東側をバイパスし、途中県道木津横田線となって京都に入った木津で国道24号線に合流します。
般若寺の楼門は国宝で、民家の建ち並ぶ京街道に面し、西を正面として建つ。鎌倉時代(13世紀後半)建立。この般若寺は真言律宗の寺院。山号は法性山でコスモスの寺院として知られています。創建は鎌倉時代と言われていますが、性格な資料が残されていません。この般若寺の向かいに、奈良市内唯一の牧場「植村牧場」があります。
この「植村牧場」の裏にある奈良少年刑務所(現在は植村牧場を挟んだ裏側)、全国8ヶ所ある少年刑務所の一つです。ヨーロッパ中世の城や修道院を参考に設計され、ロマネスク様式の正門を持つ、イギリス組み煉瓦建築で美しい内部の建物もその大半が100年以上にわたって使用されているものです。
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