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二階堂

にかいどう

中街道と布留街道の交わる要衝に発展した在郷町

奈良県天理市二階堂上ノ庄町・二階堂北菅田町

 



天理駅から西へ約3km。近鉄天理線で二つ目の駅である二階堂駅前を東西に続く路が古代の下ッ道と呼ばれた中街道です。この通りの駅前から南へ約700mの道沿いに伝統的な家並みがわずかですが残されていました。


中街道の途中にある文政2年の道標。そこから東へ石上神宮の参道である旧布留街道が伸びていました。街道名の「布留」とは石上神社の別称である布留社の事。
古代の下ッ道は平城京の朱雀大路の延長であり、道幅も42m以上あったと言われています。しかし都が平城京から遷都された以降は多くが田畑か荒野に姿を変えていきました。


二階堂町は道を挟んで東の上ノ庄村と西の菅田村が中街道を挟んで向き合う街村を形成したのが始まりで、元禄6年には市が立っていました。二階堂町が形成された江戸時代には、すでに現在のような車が辛うじてすれ違う事ができるくらいの細い道筋となっていたようです。


奈良盆地の中央を縦断する主要街道だった中街道は、吉野や高野山への往来でにぎわうようになり、それは二階堂を宿場町・在郷町へと発展させていきました。
二階堂町はその後分村化していき地名としては消えますが、「二階堂筋」という通りの名で残り、やがて明治に28ヶ村が合併して生まれた新しい町の名として復活したのです。


かつてこの町には角谷酒造という酒蔵がありましたが、廃業した後今はその姿ももはやありません。










近鉄二階堂駅前の民家

酒蔵情報

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