桜井市は古代より山麓の古道山辺の道に始まり、大和を縦貫する上ッ道(上街道)、中ッ道(橘街道)、東西に横断する横大路(初瀬街道)が交わる交通の要衝として発達した町で、それは現在も桜井駅は奈良盆地東部のターミナル駅であり、道路の混雑ぶりへと引き継がれています。
歴史の古い桜井ですが、町場として発展していくのはずっと後の戦国時代の頃で、はじめ初瀬街道(伊勢街道)と現在談山神社のある多武峰(とうのみね)へ通じる参道の交差する付近に市場が開かれ、やがて宿場町へと発展していったと云われています。
この桜井がさらに大きく飛躍するのは明治になってからで、国道の近代化や鉄道の開通により人や物資の集散が活発になりますが、吉野や宇陀地方からの木材積出し地となった事が最大の要因でした。
そんな桜井には、もはや伝統的な佇まいの町並みなど残されていないと思いましたが、桜井駅南口に東西に続く商店街はかつて参詣客の往来でにぎわった初瀬街道(伊勢街道)の旧道筋で、駅の東側から西の栗原川付近にかけて伝統的な町並みが残されていました。
近年桜井駅北口が大規模な再開発・区画整理事業が進められていましたが、不景気が続いてその勢いも止まり、南口駅前は閑散としてビルの空き家も目立つほどで、奈良盆地中東部の中核都市の面影はありません。
同じくシャッター商店街化が進む初瀬街道沿いの古い商家や町家の中には、昭和の早い時期に改築が行われている「看板建築」が多く、文化財的な要素は失われ始めていますが、いまだ重厚で伝統的な佇まいを残した商家も多く見られました。
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