大阪府と接する當麻町は古くから大陸文化の玄関口として、日本最古の国道といわれる竹内街道が通り、竹内峠中腹に位置する宿場町的存在であった竹内集落には今もその面影が色濃く残されています。當麻という地名は竹内街道の北に位置する寺院、當麻寺(当麻寺)から取られた名で、その参道沿いには古刹の門前町らしい伝統的な家並みが残されています。
當麻寺背後にそびえる二上山(にじょう・ふたかみ)は大和・河内にまたがり雄岳・雌岳のふたつの峰からなる山で、その麓の丸子山(麻呂子山)を借景にした東塔・西塔2つの三重塔は當麻のシンボルとなっています。當麻寺は在地豪族当麻氏の氏寺として7世紀半ばに創建されたものと伝えられ、数多くの古美術を有する寺院として知られています。また高野山真言宗と浄土真宗両宗兼帯の寺でもあり、古くから極楽浄土を信じる参詣客が跡を絶たず、門前町は大いに賑わったようです。
近鉄南大阪線「当麻寺駅」前から参道は始まりますが、伝統的な家並みが始まるのは国道165号線を渡った門前までの約400mで、平入り厨子二階の商家建築のほか二階建ての旅館建築も参道の中頃から増え始めます。そばや茶菓子の店は「東大門」前に見らますが観光客相手のおみやげ店など無く、喧騒さとは無縁の参道には住民の普段の生活があり、さらに一歩裏手に入ると「大和の里」のイメージそのものの田園風景が広がります。
大阪と奈良を結ぶ古道は、竹内街道の他にも穴虫越え・関屋越えなどいくつものルートがあり、この當麻寺の裏手からも二上山を越えて河内へ通じる岩屋越えなどの古道がありました。南大門前の十字路を右へ進むと二上山へ通じる旧古道が伸び、その道沿いにも伝統的な佇まいの農家建築が残されていました。
ちなみに「當麻」は「当麻」の旧字体ですが、地図や書籍に始まらず行政機関も表記に混在が見られます。しかし、理由は分かりませんが近年略字体の「当麻」から旧字の「當麻」に再統一したようです。
|