飯南町南部の旧赤来町は山陰・山陽の分水嶺をなす中国山地の背梁部、島根・広島両県の県境に位置し、陰陽連絡道のちょうど中間に位置する高原の町です。その中心部の赤名地区は中世の城下町に始まり、近世は宿場町として栄えた町で、今もわずかながらに往時の面影を残します。この赤名という地名は、古くは「赤穴」と書き、これは現在の上赤名地区にある「赤穴八幡宮」に残る丹塗箭神話にちなみます。この赤穴八幡宮は古くは松尾神社といいましたが、平安時代末期ごろから石清水八幡宮の山陰進出が始まり、その末社となります。このころ地名も赤穴から赤名へと改められたのでしょう。
赤名のある地は出雲、石見、備後三国の国境に接している事からも、重要な軍事戦略拠点として、つねにその争奪が繰り返された激戦地でした。この戦国期に築かれた城下町が赤名の町の始まりです。江戸時代になり下赤名村古市を旧城下町に移転させて宿場町が整備されました。街道を挟んで西側が下赤名村、東側が上赤名村という町分が成立し、宿場町は上市・中市・下市からなり、町の2ヶ所に上番所・下番所が置かれていました。 赤名はまた出雲と備後を結ぶ出雲街道(出雲備後道)に石見銀山街道が合流する要衝で、また街道随一の険路である「赤名峠」を控えた峠越えの宿場町として大いに賑わったといいます。
しかし、モータリゼーションの時代が訪れ国道が整備されると、出雲街道の重要性は変わらないものの、その多くが通過交通となり、国境にまたがる赤名峠は昭和20年に開通した赤名トンネルで通過していきます。
赤名の町の規模は往時の繁栄ぶりを偲ばせますが、今は過疎化の波の渦中にあって喧噪は姿を消しています。
国境の宿場町に今も残る造り酒屋
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