阿須那は邑智郡の最奥部に位置する旧羽須美村の集落の一つで、江川の支流出羽川中流部の扇状地に形成された街村です。阿須那という地名は、産土賀茂神社の阿須波神(明日門命)が地名の由来だと言われています。鎌倉期から南北朝期にかけて「安須奈」と書かれていましたが、戦国時代あたりから”阿須那”と書かれ始めました。
この石見国最奥の小さな集落が町場として発展した経緯の一つに、地内にある賀茂神社の境内で行われていた阿須那の牛馬市があります。中国山地は古来より近世後半まで”たたら製鉄”が盛んに行われていた地域ですが、この産業に必要な物資及び製品輸送は牛馬輸送に頼っていました。中国山間部の主要な町では牛馬市が開かれており、この山間の小さな集落、阿須那の牛馬市もその一つでしたが、中国山地の牛馬市の中では最大規模を誇る伯耆大山(鳥取県)の牛馬市に次ぐ規模を誇ったといいますから驚かされます。
それだけ多くの人々が集まれば、それを取り巻く諸商売も繁栄し、阿須那では十日市という定期市も開かれていました。この市は出羽代官の保護監督のもと、呉服をはじめ酒屋や木綿小間物、魚や大工道具、薬種・砂糖、大工道具などの市見世なども開かれ祭礼市としてはこの地域最大のものだったといいます。
阿須那村は、昭和32年に口羽村と合併して羽須美村となり、町の中心は鉄道(三江線)が通る口羽地区に移りました。しかし、阿須那はその後もしばらく発展は続いたようで、現在は往時の喧噪は無いどころか、ひっそりと静まりかえっていますが、町の最盛期に時計の針を止めたかのごとく、つい先日まで往時の喧噪が続いていたかのような印象を受ける町並みが残されており驚かされます。
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