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恵曇古浦

えとも こうら

松江藩によって開削された佐陀川河口の港町

島根県松江市鹿島町恵曇・古浦 【旧・八束郡鹿島町2005年合併】

 

古浦地区から見た恵曇地区


松江市の北西約10km、島根半島の中央部に位置する旧鹿島町の中心市街で日本海にそそぐ佐陀川の両岸に沿って開けた港町、恵曇(えとも)と古浦があります。旧鹿島町の「鹿島」はこの地域が秋鹿郡(あいか)と島根郡にまたがっていた事から、それぞれの一字をとって名付けられたもの。町の中央を流れる佐陀川は江戸時代に松江藩の公共事業として、清原太兵衛によって3年の歳月をかけて開削された運河で、宍道湖と日本海を結び、物流と治水を兼ねた一大工事でした。

この佐陀川の河口に発展する港町は、右岸側が恵曇地区、左岸側が古浦地区となっています。恵曇は古代神話に由来する名で元々は「恵伴」と書かれていましたが、神亀3年に「恵曇」と改めます。その後、江戸時代になぜか「江角」(えずみ・えづの)に転訛しますが、明治の合併で再び恵曇の名が復活します。


恵曇地区から見た古浦地区


一方、古浦はその名のとおり、この地域で最も古い漁村集落と言われ、西北からの季節風によって形成された砂丘によって、古くから製塩が行われており、江戸期には御用塩として上納されていました。しかし佐陀川の開削によって古浦の製塩は終焉を迎えます。


さて、松江藩の正式な外港は北東約9kmの場所にある加賀港で、恵曇(江角)に集められた諸物資は加賀港まで内海航路で運ばれ、そこから大型船に積み替えられて、各地へと移出されました。恵曇が本格的な港湾に整備されるのは大正末期になってからですが、松江藩の重要な港である事にはかわりなく、藩の御番所が置かれ、幕末には台場も建設されています。



さて、佐陀川の両岸に広がる港町ですが、その性格は現在大きく変化しています。松江方面からの玄関口である恵曇地区は、港湾地区として水産加工業などがあつまる港町そのもので、入り組んだ路地に民家が密集していますが、一方の古浦地区は、夏には海水浴客でにぎわう砂浜の海岸線沿いにゆとりを持って区画され宅地化が進む、漁村というよりも海辺の住宅街の様相でした。










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