島根県最西端、益田市の中心市街から山口県萩市方面へ約15km。山口県田万川町と接する小さな入江に飯浦という漁村集落があります。ここは古来から近世にかけて長門・石見国境の国境地にあり、そのため幾度もの紛争が繰り広げられていました。
江戸時代になると飯浦は津和野藩の外港となり、益田高津港に次ぐ重要港として発展します。さらに幕末になると藩の武器蔵や遠見番所、台場も設置されていたといいます。
しかし、いまはむかしの話となっている小さな漁村集落である飯浦。この集落には厨子二階に白壁塗籠造りなど伝統的な造りの家々が軒を連ね、なかには戸袋に鏝絵が施された建物も多く見られる、一風変わった家並みを持つ漁村なのです。
厨子二階の家並みは飯浦川にそって連なっていますが、海沿いに対して内陸部側の街並みは二階建てが多く見られ、比較的後の時代に建てられたものと思います。
この小さな漁村が、なぜこのような統一された街並みをしているのか、その歴史に興味がありましたが、今後の課題となります。
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