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五十猛

いそたけ

古くは商港として栄えた大田郊外の港町

島根県大田市五十猛町

 



大田市の中心市街から温泉津方面へ約7km。JR山陰本線五十猛駅から五十猛漁港(大浦港)までは約2キロほど離れています。五十猛は大崎ヶ鼻の南側に形成された天然の良港では古くから商港として栄えた港町であり、大浦とも呼ばれ今もなお県内屈指の漁港です。

五十猛は古くは韓浦(からのうら)とも呼ばれていました。この「五十猛」という地名の由来は出雲神話に登場する五十猛命の上陸地に由来し五十猛命は「韓神」の別称があった事に関係します。江戸期から明治22年までは磯竹と書かれていた時期もありました。中世のモンゴルによる元寇では、この浦には防砦が築かれていたといい、町にある新羅神社は古くから大陸との繋がりを意味しています。




江戸時代に年貢米の積出港として栄えたこの大浦で長年年寄り役を務めた大森家は、大森銀山領の年貢米を長崎・大阪・江戸へと廻送する問屋で、今も貴重な資料を数多く残している旧家です。
地内には本町や柳町など、商港として栄えた時代を偲ばせる地名が残されています。五十猛港は、明治以降も大阪商船の寄港地として栄えましたが、山陰本線の開通によって急速に衰退し、やがて商港から漁港へと転換していく事になります。








典型的な漁村集落形態である迷路のような密集集落

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