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出雲大社門前

いずもたいしゃもんぜん

出雲大社の門前町・参詣道と社家町

島根県出雲市大社町杵築東・杵築南・杵築西 【旧・簸川郡大社町2005年合併】

 


旧大社町は1300年以上の歴史を持つ出雲国一宮、出雲大社のある町です。創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担い、現在も皇室の者といえども本殿内までは入ることの出来ないしきたりを守り続けています。この出雲国造家は南北朝時代に千家氏と北島氏に分裂し、明治期に入って千家氏は出雲大社教(いずもおおやしろきょう)、北島氏は出雲教とそれぞれ宗教法人を起こし、出雲大社の運営に携わっていますが、宮司職は千家氏が担っています。
ちなみに「出雲大社」と呼ぶようになったのは明治4年からで、それまでは「杵築大社」とよばれていました。また出雲大社の読みですが一般的には「いずもたいしゃ」で通っていますが正式には「いずもおおやしろ」と読みます。


出雲大社の両脇に広がる社家町は京都市北区の上賀茂地区と並び全国でも代表的なもので、東側には北島国造家の社家町、西側は千家国造家の社家町で、1000年以上出雲大社を守り続けてきた格式と荘厳さに包まれています。

門前町は正面の参道に沿って南へと伸び、西の稲佐の浜にかけて住宅地広がっています。かつては「杵築二千軒」と称されていた門前町ですが、今は観光客や参詣客の姿もほとんど無く、有名な「出雲そば」の名店周辺を除いて、ひっそりと往時の姿を残しています。

江戸期の出雲大社門前町に空前の繁栄をもたらした「杵築大社の富くじ」。この興行は3月と8月の年2回行われ(4回行われた年も)、日本全国から人々がこの出雲に集まりました。その盛況ぶりは文献に記録され、興行期間には町中の家が宿屋となり、小さい家でも数十人、広い家では数百人もの宿客を泊め、門前町の商家・宿屋は年2回のこの興行だけで一年の収入を得ていました。しかし明治元年の太政官布告により富くじが禁止され、興行もとの出雲大社は勿論の事、大社門前の町民の収入も激減し市中は恐慌とも言える大不況に見舞われ一変して衰退していきます。



明治45年(大正元年)出雲今市〜大社間に鉄道が開通。これにより新参道が整備され杵築南地区は大きく発展します。昭和5年には一畑電鉄大社神門駅(出雲大社前駅)が開業し、一時は歓楽街もできましたが、人々の脚が鉄道から自動車へと変わっていく中で、出雲大社門前にバスターミナルができ、新参道筋の活気は失われていきました。一方、旅館やホテルが建ち並ぶ新参道筋に対し、早い時期に半ばその役割を終えていた旧参道筋はひっそりと地元住民の生活の中心となり、古い家並みが残されていました。





旧参道沿いに建つ古川酒造





酒蔵情報

清酒

「八千矛」

古川酒造

島根県出雲市大社町杵築東418

0853-53-2027