横田町は広島県庄原市と接する出雲地方南端の町。「奥出雲」とも呼ばれるこの地域は、険しい山塊によって出雲とも備後とも隔てらた地域で往来も容易ではなく、文明が発達した近代においても、鉄道ファンには有名なJR木次線のスイッチバック駅や国道314号線の「奥出雲おろちループ」橋などの存在がそれを物語っています。
奥出雲はヤマタノオロチ伝承発祥の地であり、出雲横田はその8つの頭を持つ大蛇に喩えられたと言われる斐伊川最上流に開けた盆地の中心地でもあります。
平安期には京の石清水八幡宮の荘園で、町の中心部は大市と六日市の2つ地区からなり、古くからの市場町であった事が伺えます。
奥出雲地方は古代より良質な砂鉄や薪の原料となる木材に恵まれ、「たたら製鉄」が盛んな地域でもあり、今も数多くの製鉄場の遺構が残されています。
江戸時代に出雲を支配していた松江藩18万6000石の松平氏は、この地で産出された鉄を藩札で買い上げて大坂に移出して藩の財源としました。その為、有力鉄師に製鉄関連の独占権を与えて産業を集中させ、奥出雲の製鉄業は大きく発展していく事になります。
やがて明治になり、藩の後ろ盾を無くしたこの地の製鉄業は大正期ごろまでには、砂鉄の産出量の減少や輸入製鉄の前に衰退していき、主要産業の転換を余儀なくされます。
そんな中生まれたのが算盤(そろばん)製造でした。伝統工芸品としても認められた「雲州算盤」は行商によって全国へ販売され、現在は実に60%のシェアを誇るまでになります。
町内の稲田神社をモチーフにした大社風のJR出雲横田駅から歩くと、まず国道の拡幅によって近代的に生まれ変わったメインストリートに出くわします。その通りに直角に交わる商店街が町の中心です。江戸時代の建物はありませんが、大正時代から昭和初期のイメージが残る準レトロな通りにひときわ目に入る赤いとんがり屋根の建物は大正時代の建築である相愛教会で、町のランドマークになっています。
この赤い屋根の教会の先に架かる橋を渡り、少しばかり東へ歩くと「簸上酒造」(ひのかみしゅぞう)という酒蔵があります。江戸時代は正徳2年(1712)創業の老舗ですが、日本ではじめて「泡無酵母」を発見した蔵として知られ、現在も数多くの賞を取る出雲の実力蔵です。
(2008.12.27)
揖斐川を渡った先、簸上酒造周辺の町並み
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