広島県と接する石見地方の旧瑞穂町の中心市街、出羽地区と三日市地区は出羽川を挟んで南北形成する町です。この両岸の2つの町で1つの町を構成しますが、それぞれ町は異なる歩みで発展して生きました。江戸時代のこの地は浜田藩領で現在の出羽橋附近で大森銀山や浜田方面への道、さらに南に峠を越えて安芸吉田方面への道が丁字で合流する交通の要衝でした。浜田藩領時代には出羽に代官所が置かれ、幕府領時代も久喜鉱山支配の拠点として、出羽は武家町を中心とする政治・行政の町として発展します。一方で出羽川を挟んだ対岸の三日市は商業の町として発展しました。政治の町となった出羽も初めは八日市と呼ばれていた古い市場町でしたが、明和2年(1765)に地名を出羽と改称します。ただし出羽という地名そのものは鎌倉期以前からあった地名でした。
この出羽と三日市の2つの町を大きく発展させ、名を知られたものに牛馬市があります。山陰地方の各地で行われていた牛馬市ですが、もともと出羽と三日市は隔年交代で実施されていました。しかし明治19年から郡内における中心市場として隣り合った2つの町での同時開催となります。そして第1位の伯耆大山などとともに「出羽市」は三大牛馬市と呼ばれるようになります。
三日市地区の家並み
かつての武家町、出羽(八日市)地区の家並み
かつて武家町だった出羽地区はその後耕作地に転換して大きくその姿を変えました。今はもう武家屋敷の遺構も残されてはいません。広島方面へと伸びる旧街道沿いに古い家並みが残ります。一方、出羽川対岸の三日市地区は、町役場が置かれ中心商店街を形成していますが、今は対岸の出羽地区側に商業施設が発展している為に、こちらも通りには人影もほとんど無く閑散としていました。
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