出雲市の南、約20kmの山間部。雲南市掛合町掛合は斐伊川の支流の三刀屋川の中流域に位置する小さな町。飯石郡のちょうど中央に位置していて、古くは郡制の中心として、また出雲街道の宿場町として栄えた町でした。中世から戦国期にかけて「懸合」と書かれ、江戸期ごろから今の「掛合」と書かれるようになります。周囲を山々に囲まれた山間の町でしたが、陰陽連絡道の出雲街道が町を通ることと、松江藩領の藩境でもあって、掛合には高札場のほか辺境警備の為の役人も置かれていました。街道沿いに執行を行う下番所と、それを監督する上番所が小高い丘の上に置かれていて、下番所の役人は毎日上番所へ報告に上がりました。寛文以前の掛合町は三刀屋川の氾濫原である現在の十日町付近にありましたが、寛文6年(1666)の大洪水で町が流失し、上番所のあった現在の坂町に移転したといわれています。
したがって掛合町の旧市街は三刀屋川沿いを走る国道54号線から反れた丘陵斜面に形成されています。特に古い建物はあまり残されてはいませんが、現役の旅館をはじめ旅館建築が結構目立ちます。
その坂を登り切ったところに建つ一軒の酒蔵が、この掛合町の名主である旧家・竹下家です。
「たたら製鉄」の鉱山町として発展した吉田町(吉田村)の入口に位置している掛合町。その吉田町を支配していた奥出雲の有力鉄山師で、山林大地主でもあった田部家の傘下で庄屋を務めていた事から、その田部家より酒造免許を譲り受け、造り酒屋の竹下本店として今に至ります。この竹下家の12代目当主だったのが、第74代内閣総理大臣である竹下登です。そして、その孫がロック歌手にしてタレントのDAIGOで、この小さな町は今もこの2人一色でした。
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