大田市の南約15km、と言うよりは世界遺産として著名になった大森銀山と仏山を隔てた裏側とした方が分かりやすいかも知れません。この仏山の南麓と大江高山東麓の間に位置する小さな農村集落が祖式町です。この祖式の歴史は古く、鎌倉期には祖式郷と呼ばれた交通上の要衝で、都治から大家を経て大森銀山へと至る大森道と川内、柿木原を経て川本温湯城へつながる川本道の分岐点にあたり旅人で賑わいました。
山間のこの小さな集落に郵便局と清水酒造という酒蔵がある事から、興味を抱いて訪れました。
戦国期には大森銀山守備の為に大内氏によって矢滝城がこの地の北西隅に築城されています。清水酒造の醸す 「矢滝正宗」という酒銘はここからきていますが、明治39年(1906)創業のこの小さな酒蔵も現在は残念ながら廃業してしまい、その跡すら見つける事はできませんでした。現在は山間部の農村集落となっている祖式の集落は、旧街道に沿って街村の形態を残し、街道に面した家並みも典型的な農村集落というよりは、宿場町の面影を色濃く残していました。
江戸時代の祖式村は大森銀山代官所の支配で、江の川に沿った川本と温泉津港の中間にあり、旧山陰道の宿場町としても発展した町場で現在も上町・下町の地名が残されています。
戦国期に矢滝城が築かれた矢滝城山の頂上には、戦後朝鮮半島に近いことから、米軍のレーダー基地が建設されます。
当時は、城山の麓の住民がこの米軍施設を支えていたそうですが、やがて米軍が撤退してからは、NHKのアンテナ基地に代わり、現在はそれも役割を終えて自然に帰しているそうです。
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