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津和野

つわの

山間の県境に佇む小さな城下町・津和野藩亀井家4万3000石

島根県鹿足郡津和野町

 


津和野は島根県の西南端の町で山口県に大きく突き刺さるがごとく突きだした、山間の小さな城下町です。 私はずっと津和野を山口県だと思っていましたが、それほど島根県から隔絶された町でもあります。

津和野の歴史は、鎌倉時代に吉見頼行が蒙古襲来に備えて津和野に三本松城を築いたのに始まります。 関ヶ原の戦い後、坂崎直盛が3万石で入府し、城の完成と城下町の整備を行いました。今に残る津和野の風景の一つ、用水路も直盛の時代に完成されたものでした。 しかし坂崎直盛は有名な「千姫事件」で自刃し、御家取り潰しとなります。


「千姫事件」。豊臣秀頼の正室だった千姫は徳川家康の孫娘でした。大阪の役で家康は「千姫を大坂城から救出したものに千姫を再嫁させる」と約束します。坂崎直盛は燃えさかる炎の中千姫を無事救出しますが、火傷を負った直盛を千姫は嫌がり、本多忠刻に嫁することになります。プライドを傷付けられた直盛は千姫を奪還する計画を建てますが未然に発覚。無念の自害をします。 しかしこの史実は多少細部が少々違うようで、面目を潰された直盛が千姫奪還を計画したのは確かなのですが、お家取り潰しを恐れた家臣により暗殺されたと言われていました。

しかし、この家臣による藩主暗殺が幕府に発覚し、結局津和野藩坂崎家は改易されてしまいます。


元和3年(1617)亀井政矩が4万6000石で津和野に入封、以後明治維新までの約250年間亀井家がこの津和野を治めます。 藩政を支えたのが政矩の親戚筋である家老多胡真清の他三兄弟で、以後も多胡家は代々藩主を助け、城下町の整備と産業の育成に辣腕を振るいます。今も町内に残る段々畑は多胡主水の名をとって「主水畑」と呼ばれています。


津和野の町並みは JR津和野駅前の鉄砲町から祇園町、本町、後田と商家が続き、 町役場のある東殿町には家老多胡家や大岡家の長屋門など遺構が残ります。城下町の面影を強く残し古い商家が連なる本町には、重厚な佇まいの三軒の造り酒屋を中心とした伝統的な街並みがあります。各酒蔵は建物内部の見学可能で、それぞれ個性のある地酒の試飲をはしごし、ほろ酔い気分で町を散策しました。








武家屋敷の水路と鯉

酒蔵情報

清酒

「初陣」

古橋酒造

島根県鹿足郡津和野町本町1

08567-2-0048

清酒

「華泉」

石州・華泉酒造

島根県鹿足郡津和野町後田218

08567-2-0036

清酒

「高砂」

財間酒場

島根県鹿足郡津和野町中座ロ34

08567-2-0039