日御崎神社門前の東に位置する宇龍は、島根半島西端に突きだしたリアス式海岸の浦の一つで、島根半島海中公園の中心です。入り組んだ湾と季節風から港を守る権現島からなる天然の良港で、「出雲風土記」には「宇礼保浦」とある、古来より通商港として栄えていた港町です。それは中世から近世にも続き、北国船や因幡、但馬地方の国内廻船の他、中国などの外国船も出入りする出雲有数の商港でした。
近世まで斐伊川は川跡付近(現在の一畑鉄道川跡駅付近)から西に折れ、出雲大社門前の杵築に流れ込んでいました。現在のように斐伊川が宍道湖へ注ぐようになったのは江戸時代の寛永年間(1624-44)と言われています。出雲の奥地で生産された”たたら鉄”は、斐伊川舟運で杵築河口を経由してこの宇龍港に集められ、他国へと積み出されていたのです。出雲の製鉄が他国へ知れ渡るようになったのもこの頃です。江戸時代を通して宇龍は、風待ち港として西廻り航路の廻船が寄港し、藩蔵や遊女も置かれるほど繁栄していたそうです。
地図を見ていると、半島部の大半の地名が日御碕であるのに、この宇龍だけが独立した行政区分となっているのは、平安期までこの一帯すべてが日御碕神社領であったものの、その後宇龍だけが杵築大社(出雲大社)領となったことによります。それは、いかにこの宇龍が出雲国内で重要な港町であったかを物語っています。
権現島が季節風から港を守る天然の良港 |