「安来節」でその名が知られる島根県安来市は、鳥取県との県境に位置する島根県最東部の中核都市にして同県における東の玄関口の町でもあります。古代より安来は中海(錦海)に面した天然の良港で、朝鮮半島との交易も盛んであり、また同じく古来より出雲の重要な産業のひとつであった”たたら製鉄”の集散地として発展した町でした。神話の時代から近世を経て明治期まで続いた”たたら製鉄”は、やがて日本初の民間鉄鋼会社「雲伯鉄鋼合資会社」に引き継がれ、現在はその流れを組む「日立金属」の企業城下町の様相を呈しています。
安来の地名は古代神話に登場する素戔嗚尊(スサノオノミコト・須佐之男命とも)が、国土平定の為の巡行でこの地に来た際、「吾が心は安くなりけりぬ」と語った事に由来するといいます。また現在は”やすぎ”と読みますが、古代史や文献、唄などでは”やすき”の読みが多く用いられています。
このように古来より栄え続けていた安来は中世になると政治・経済の中心地となり、やがて北前船の西廻り航路の寄港地、さらに山陰道が通る出雲有数の交通の要衝として発展し、江戸期には松江藩内の重要な都市として位置付けられていました。安来村の中心地は安来町として独立し、「能義郡安来町地銭御検地帳」によると家数は240軒、町は二日市・西小路・本町・東新町・西新町・井戸小路の六つの町に分けられ、「安来千軒」と呼ばれるほどの町並みからなる繁栄でした。また伯耆国との国境でもあった安来町には制札場や番所などの他、松江藩主の参勤交代の際に利用する御茶屋(本陣)なども置かれていました。
安来の町は、江戸期から続く幾度も大火によってその多くを失い、その後の産業構造の変化によって町の姿は大きく変わっていきました。現在、JR安来駅の東側、山陰本線沿いの安来町旧道筋には、安来中郵便局付近を中心に元酒蔵などの旧家や商家が多く残されていますが、連続性はあまりありません。しかし、伝統的な古い町並みを残そうと、それらの古い建物を中心に往時を偲ばせる町並みへ向けた修景事業が行われていました。
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