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吉田

よしだ

鉄山師田部家の企業城下町として栄えた山間の町

島根県雲南市吉田町吉田 【旧・飯石郡吉田村】2004年合併

 


島根県出雲地方の空の玄関口、出雲空港から南へ約30km。奥出雲と呼ばれる地域の一画に四方を山々に囲まれ、国道も県道も無く隔絶されたような旧吉田村はあります。現在は人口約2000人ほどの過疎化が進む地域ですが、古来よりたたら製鉄産業で栄えた町であったのです。吉田村の中央を蛇行して流れる吉田川沿いに市街地が開け、この地区は吉田町という大字です。その吉田町を取り囲む山間地域は吉田村という大字で、行政単位である吉田村の中に吉田町と吉田村が存在するよいう不思議な構図がかつてはありました。



この吉田村を含めた奥出雲地方一帯は古代から砂鉄生産で知られ、宮崎駿の「もののけ姫」の舞台ともなっています。古代には鉄穴流し(かんなながし)という原始的溶融炉方法で鉄を造りだしていましたが、やがて耐火粘土による鈩(たたら)炉を用いる先進的な方法を始めたのが、鎌倉時代の文永年間(1264~75)の吉田にある菅谷地区であったとされています。この技術革新を持ち込んだのが、鎌倉時代の備後地頭職周藤氏の家臣、田部氏一族でした。田部氏は鉄山師であると共に元来武家の身分だった為に、戦時には各地へ転戦していました。しかし戦国期に家人の戦で失ったのを期に、武士の身分を棄て鉄師業に専念します。それから大正12年に製鉄業が廃業するまで連綿と家業である製鉄業を営み、巨富を築き上げていきました。



この製鉄産業は中国地方における一大産業であって、江戸時代においても松江藩は鉄を重要な財源としたから、田部氏をはじめとする鉄師は松江藩の統制と手厚い保護を受けることとなります。高炉の燃料となる森林の伐採と山林の所有を認められ、広大な山林を所有する巨大地主でもあった田部家は、名字帯刀を許され再び準武士としての身分と共に、吉田村内での一部行政権も与えられ、政治的には郷村役人よりも上位に君臨していました。 慶長13年(1608)吉田村から町分(中心市街)を分離独立させて吉田町が成立。これは田部家の製鉄業を支えるために生まれた企業城下町でもあります。



たたら製鉄業は明治以降になると、洋鉄の輸入や近代的な八幡製鉄所開業の影響をうけて衰退の一途をたどる事となりますが、日清・日露の両戦争の時期には鉄の需要が増加して持ち直します。この明治40年には年間815トンと田部家最大の製鉄量を記録しています。現在、吉田川に沿ったゆるやかな斜面に形成された吉田町の町並みは田部家の土蔵群や邸宅に始まり、たたら製鉄で栄えた往時を偲ばせる町並みを残していますが、幕末の慶応元年(1865)に田部家より出火した大火によって吉田町は一度消滅し、その後に再建された町並みが今に残るそのものです。












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