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誰が呼んだか「日本のハワイ」として有名な温泉地・羽合町と東郷池という名の湖を挟んだ対岸にも湖底から温泉が湧き出る松崎という温泉地があります。
この温泉地の歴史も古く、江戸期には松ヶ崎と称されていました。JR山陰本線松崎駅前商店街にはいくつかの伝統的な商家が散見されますが、古くは東伯郡の年貢や諸産物を東郷池対岸の港町である橋津や伯耆往来(山陰道)へ運び出す水陸交通の要衝として栄えていました。また倉吉往来の宿場町でもあり、藩の関所蔵や制札場が置かれ
ていたといいます。江戸時代の寛永11年には、鳥取藩家老の和田三正は小鹿谷に松崎陣屋を構え、自分手政治(独立行政)を行いました。
倉吉往来は山陰道泊宿から分岐し松崎を経て倉吉の至る東筋と、同じく山陰道長瀬宿から分かれる西筋がありましたが、多くの旅人は道のりが険しい東筋を避け、長瀬からの道筋を利用した為に、宿場町松崎はあまり発展はしませんでした。
藩政期時代から東郷池の湖底や湖岸から温泉が湧きだしていた松崎が温泉保養地をして発達し始めるのは明治37年に国鉄山陰本線が開通してからの事。
しかし本格的な温泉開発が行われ、観光地化し始めたのは大正末期になってからで、「東郷温泉」はその頃に名付けられました。
毎年晩秋には三八市が開かれ、近郷から客を集めたといいます。
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東郷池の風物詩の一つとして知られる「四ツ手網」」漁 |
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