伯耆溝口の南に約10km。旧道沿いに残る二部集落もまた溝口と並ぶ出雲街道の古い宿場町でした。
伝馬の数は溝口宿20頭に対して、二部宿は13頭と当初は規模が小さかったものの、たび重なる日野川の増水による川止めへの対策として、天万-池野-三部-二部と日野川左岸を通り溝口宿を迂回した新出雲街道が整備され、衰退していく溝口宿とは逆に、二部宿は著しく発展していくことになります。
同時に溝口宿にあった藩の出先機関はみな二部宿へと移転します。ただし二部宿にあった茶屋は本陣を務めるには規模が小さかったために、となりの三部にある大庄屋足羽氏の屋敷が本陣にあてられました。この本陣足羽邸は明治期になると日野郡役所にもあてられる事になります。
その後郡役所は地元の寄付を集めて本格的に新築されますが、しかし今度は新出雲街道(現在の県道・日野溝口線)に代わって、日野川沿いに国道(180号線)が新しく開通。それに伴い日野郡の中心地は交通の要衝である根雨宿へと移され二部宿の時代はここに終わってしまいます。
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