大山の南麓、岡山県真庭郡と接する、俣野川の上流本谷川沿いに「下蚊屋」(さがりかや)と言う名の小さな集落がひっそりと佇んでいる。改良工事中の国道482号線が集落の上方を大きくバイパスしている為に、気がつかないで通過してしまうような場所に立地しています。
この難読地名は、かつてこの一帯が萱の生い茂る土地であったことに由来する「下萱」が転訛したものと言われていますが、南北朝時代に鎌倉幕府との戦いに敗れた後醍醐天皇が、隠岐へと配流される際に、この地で休憩したと言われ、その際「蚊はいないから蚊屋を吊る必要はない」と言って、休息場所の蚊屋を下げられた事に由来するという伝承も残されています。
中世ごろから、近江日野の塗師職や木地師がこの集落に移り住んだ事から、明治後期の陶磁器の全国普及の波に出会うまで、長い間木地の村としても語り継がれていたこの集落は、米子城下と美作地方を結ぶ街道沿いにもあって、宿場町の様相を成していました。また国境の集落でもあった事から、生活や婚姻は美作地方の経済圏に属していました。
山間の緩やかな傾斜地に形成された集落の中央を生活用水も兼ねた水路が流れ、静寂の中に唯一水のせせらぎが漂っているこの下蚊屋集落の家々はどれも旧家を思わせる立派な佇まいをしています。
主力産業であった漆器生産が衰退した後も、伯耆と美作を結ぶ経済道路沿いの集落として長きにわたり宿場町的な役割を果たし続けてきたのでしょう。
静まり帰った集落の中に小川のせせらぎが途絶える事なく響き渡っています
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