大山町は西伯の都市、米子に近い大山北麓の町。古くから山岳仏教の聖地である霊峰大山の中腹にある大山寺は、多くの僧兵を抱え、治外法権を有していましたが、時代が進むと次第にその支配力は低下してゆきます。しかし、多くの信仰を集めた大山信仰は衰える事無く、江戸期から近世まで大山詣は絶えませんでした。 JR山陰本線・大山口駅はまさに大山への入口として造られ、駅前から大山へ向けて1本の道が走ります。その駅前の道を進み、役場の前を通り抜け、10分ほど歩くと大山中学校の裏手に重厚な屋敷集落が存在します。
この地を「所子ところご」と言います。地内に加茂神社があるのですが、中世以前からこの一体は中央の権門寺社領荘園が林立しており、所子は京都鴨社の荘園であったといわれます。
町並みを構成するのは庄屋級の大屋敷が3軒あり、いずれの主も門脇家の一族です。この門脇家は延宝〜天和年間(1673〜84)頃、三右衛門のときに汗入郡平木村から当地へ移り住み、汗入郡の大庄屋を務める一方で田畑の集積を行い大地主に成長しました。さらに米・木綿・古手物・紅花などの販売や貸金業にも進出し今に至る財を築いたのでした。現在この門脇家邸のなかでも、茅葺屋根の主屋をはじめ米蔵・新蔵などが国の重要文化財に指定され永久保存されていますが、集落全体、いや周辺環境も含めた包括的な整備保存が必要なのではないかと思います。
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