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  阿知須
あじす
 かつて廻船業で栄えた居蔵造りの商家のある小さな港町
 山口県吉敷郡阿知須町縄田

 構成:商家・町家(厨子二階土蔵造り・海鼠壁) 駐車場:なし
 

宇部市の北東に位置する阿知須は、古くから廻船業で栄えた港町でした。
藩政期の阿知須浦は、萩藩の保護のもと、住民の1/3が漁業や廻船の水夫を生業とする廻船の浦で、天保年間には60隻ちかい廻船を所有していました。
廻船経営には「 賃積船」と「買積船」の2種類があり、「 賃積船」とは運賃輸送を生業とするチャーター船の事で、「買積船」とは消費地の価格差を利用して差額利潤を得る為に、各地の寄港地で商品を購入したり売却したりとする、商業船の事をいいます。
阿知須の賃積船業は萩藩の廻米輸送を担っていましたが、北陸、山陰から瀬戸内海を商圏とする買積船業者も多く、富を築いた廻船問屋が軒を連ねました。

江戸期以来、回船業の主な取引商品は「米」でしたが、明治に入り電報が普及すると、各地の米相場が瞬時に伝わるようになり、地域間価格差を利用して利益を上げていた廻船業者は次々と廃業していきます。
そうしたなかで阿知須浦廻船は石炭輸送に活路を見いだします。宇部鉱山を抱える阿知須の石炭廻船業者は石炭の輸送だけでなく、買い付けから販売まで一手に手がけました。
日露戦争後の石炭需要の急増によって阿知須廻船業はピークを迎えます。
しかしやがて宇部鉱山組合が合理化の為に、阪神圏での直接取引や自社輸送を始めると、阿知須廻船は急速に衰退していったのです。

井関川の川岸には阿知須浦の遺構である常夜灯が残されています。
かつての港であった縄田(なわだ)地区には、江戸時代から大正にかけて建てられた「居蔵造り」と呼ばれる、海鼠壁が施された土蔵造りの商家がいくつか残っていて、往時をしのばせていました。