堀内地区と共に萩観光の中心地でもある呉服町、南古萩町の旧城下町地区。萩城の外堀の東側のは碁盤目状に地割りされ、特に新堀川の北側は町人町として商人や下級藩士達が住んでいました。中の総門からの通りは御成道で現在も町のメインストリートでその東側にはアーケードの商店街が続く、山口県道295号萩城趾線の一部です。
総門に近い呉服町と南古萩町にかけて、3筋の小路が南に延びます。菊屋横町、伊勢屋横町、江戸屋横町と呼ばれ、御成道に面した角の豪商の名が付けられています。中でも菊屋は代々藩の大年寄格に任命されまた藩の「御用達」つまり藩指定の総合商社を勤める家柄で、江戸から来る幕府役人の宿舎にもなっていました。藩は萩城下での造園を禁じていましたが、迎賓館の役目も担っていた菊屋は例外とされていたのです。明治維新後には南の武家屋敷の地も買い足して拡張した。
菊屋横町、伊勢屋横町、江戸屋横町の三筋には町人町家ではなく、30軒ほどの武家屋敷が集まっていました。今もその遺構は多く残り、商人と武家の家並みをまとめて見る事ができる全国でも稀少な地区となっています。
観光のメインストリート御成道・呉服町の町並み
菊屋横丁・白壁は奥まですべて菊屋家邸
菊屋横丁・南古萩町の武家屋敷
伊勢屋横丁の武家屋敷
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