萩城の東約2km。三角州の東北端、松本川の河口の西岸に発達した漁業集落は毛利氏入封後の藩政期になると萩藩城下の経済活動を支えるの外港として開発され、物流の拠点、北前船との交易、漁業の水揚げ港として繁栄した「萩の台所」となります。この萩城下の町人町である浜崎町は南北につらぬく浜崎本町筋を中心に町並みが形成されています。
町内には堅町(たてまち・縦町の意)として本町・問屋町・本町後町・間ノ町の4町があり、横町として鉄砲場後町、境町・千目筋・船大工町・漁人町下り・巾着町・袋町・住吉本門高場町・本町横町・毛利内匠様御蔵屋敷町の10町がりました。
現在もこの浜崎の伝統的な町屋や土蔵の街並みは、港から熊谷町にまで至る約500mに続いて残されています。このエリアには江戸時代の建物だけでも44棟を数え、平成13年には浜崎町、東浜崎町、浜崎新町、熊谷町にまたがるこの通称「浜崎」の約103ヘクタールが国の重伝建に選定されました。
上の写真の右手の三連蔵・修景依然の姿(2007年ごろ)
メインストリートの道路拡張によって不思議な姿になった商家 <
メインストリートから一歩裏手にも古い町並みは残されています。住吉神社付近。
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