JR東萩駅の北側、松本川の河口に鶴江台という島があります。駅側の新川地区とは平和橋で結ばれている鶴江台は実は島のように見えますが、かつては地続きでした。毎年のように起こる松本川の洪水対策と舟運の利便を図るために、寛永五年、13代藩主毛利敬親は鶴江台と長添山との間に4年の歳月をかけて姥倉運河を開削しました。
鶴江台の麓の鶴江地区は、松本川の東岸に発達した漁業集落で浜崎の対岸に位置します。古くは鶴井・釣井とも書かれていました。この鶴江浦の漁業は早くから遠洋での漁業を行っており、壱岐や対馬、九州地方さらには朝鮮半島まで出漁していたといいます。
萩城下の商港、経済の中心地であった浜崎の対岸に位置していた為でしょうか、また平坦な土地が海岸線に沿ってわずかしか無かった事もあり、鶴江の家並みは一般的に多くみられる漁業集落とは異なり、切り妻平入りの民家が街道集落のように軒を連ねいます。
対岸の浜崎と鶴江の間には渡し船があり、それは現在も市道の一部として無料で運行され、市内への通勤通学で使われています。
鶴江の渡し:運行時間(朝:7〜11時・昼:12〜13時・夕:15〜18時)無料・自転車可
平和橋から見た姥蔵運河・右が新川、左が香川津
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