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嘉万市

かまいち

美祢郡の山間部に残る在郷町の町並み

山口県美祢市秋芳町嘉万字嘉万市 【旧・美祢郡秋吉町2008年合併】

 



日本最大のカルスト台地にして県下有数の景勝地である秋吉台の西に位置する嘉万地区。厚東川上流に広がる嘉万平野の中央部に古い在郷町の面影を残す嘉万市(かまいち)があります。この嘉万の地名の由来は、言い伝えによると、別府長者が当地を開拓しようとした際、夢の中に仙人が現れ、2つの鎌で林を切り開けと告げたことにちなむとか。平安期にはすでに賀万郷と記されていました。室町期には嘉万別府とも呼ばれ、江戸期には別府荘嘉万村となります。この別府という地名も、言い伝えの中に登場する別府長者に由来します。


慶長15年の検地帳によると百姓屋敷393軒、市屋敷11軒とあるように在郷町であったようですが、嘉万市の名はまだありません。この江戸時代の嘉万村には堅田市と有等市の2つの定期市がありましたが、堅田市は地理的に恵まれていなかった為に衰退します。堅田市は嘉万市の南約2kmの場所で、現在も別府堅田市の名が残ります。


一方有等市の方も初めは年間で数日間だけ臨時市が立つ程度でしたが、村人は三斎市の開催を願い出て許され、毎月3日、12日、26日に市が開かれ牛馬や農具の売買が行われました。この有等市はやがて上市、中市、下市と発展し、後に嘉万市と改称します。嘉万村は明治初期に嘉万上郷村・嘉万下郷村に分村しますが、その後合併して共和村を経て、昭和30年に秋芳町の一部となります。















商店街を形成する嘉万市の町並みは内陸の在郷町としては規模が大きい

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