徳山市(現・周南市)の南端、下松市と接する小さな港町櫛ヶ浜は、古代伝承によると厳島明神が浜辺で櫛を落としたことにその名が由来するといいます。
海に突き出た埠頭群が櫛のようだからか、と思いましたが、それは近年のこと。
周囲をコンビナートでかこまれ、まさかこんなところに街並みが残されているとは想像だにしませんでした。ただ、古い港町であるとともに資料で2軒の酒蔵があるようなので、確認のために訪れました。
櫛ヶ浜で真っ先に目にはいるのが村井酒造の店蔵、屋敷です。その向かいには側面に錣庇(しころひさし)を備えた切妻妻入造りの町家が並んでいます。この先から所々に土蔵や商家が残っているのですが、状態は良くありません。富永酒造の商家は重厚な土蔵造りの切妻妻入造りでしたが、建物時代は仕舞屋になっていました。
さて、櫛ヶ浜出身の人物として村井喜右衛門がいます。寛政11年(1798)商用で長崎に滞在中、オランダの沈没船引き揚げに遭遇します。しかし引き揚げは度々失敗。見かねた喜右衛門が名乗りを上げ、見事引き揚げに成功します。引き揚げ作業人数延べ1万3000人。日本で最初のサルベージでした。
それにより長崎奉行からは報奨金が支払われ、松平伊豆守は絶賛。萩藩からは名字帯刀を許されました。
村井酒造の前身である村井酒場はこの前年に、村井家によって創業されました。
実に歴史ある名主の家だったのです。現在の8代目によって軒先に杉玉を吊す事が再開されました。しかし、訪れた時には杉玉の姿はありませんでした。
さらに、 山口県酒造組合連合会の名簿からも村井酒造の名が消えていました。
(その後蔵元からメールを頂き、やはり酒蔵をたたまれたそうです。)
村井家邸の裏手にローソンがあるのですが、ここがかつての酒蔵だったそうです。
時代の流れを感じさせられると共に、酒蔵を営む旧家によって支えられているこの街並みが今後どうなるのか、住民や行政の感心の低さが惜しまれます。
|