萩市の北に接する阿武町の奈古港は、萩から益田へ通じる石州街道沿いの市場町として古くから開かれていました。奈古浦は漁業のほかに廻船が出入りする商港でもあり、萩藩から徳山藩へ移管された奈古には徳山藩の代官所が置かれました。
陸路と海路の接点として栄えた港町ゆえか、酒蔵が2軒もあるので少し足を運んでみました。
道の駅の先の交差点からメインストリートに入ります。字でいうと「浦」旧称では奈古本町というこの通りが石州街道の旧道で、早速道の両脇に厨子二階塗籠造りの商家や町家が軒を連ねていました。
そしてまず左手には河野酒造の店蔵と酒蔵が道に沿って続きます。その少し先の右手に旧家を思わせる白漆喰で塗籠られた虫籠窓を持つ立派な商家、阿武の鶴酒造が現れます。道は突き当たりで直角に左へ曲がり、平入りの民家が続きます。
次に酒蔵のある通りから港へ通じる道筋に厨子二階土壁造りの町家の家並みを発見しました。港に車を止めて、人が通れるくらいに密集した裏路地を散策すると、この港町には、漆喰で塗りこめられた町家が実に多いことに気が付きます。
これだけ密集している奈古の町は、案の定藩政期から何度も大火に襲われていました。港にはコンクリート工場や造船所などがあり、就労人口が多いことが過疎化を無縁なものにしていますが、それでいて街並みが多く残されているのは、就労者の多くが他の地域から通勤している為ではないかと思います。
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