下関からやや北東へ約30km。長門市とのちょうど中間に位置する旧豊浦郡豊田町。その中心市街は「西市」といいます。地名のとおり中世より続く市場町として発展した場所でした。
木屋川中流域に開けたこの盆地に最初に市が開かれたのは、現在の西市よりもやや下流の中村地区付近だったといいます。川を挟んで東の市、西の市と2つの市場町が形成されていました。しかし西の市は木屋川の氾濫によって度々被害を受け、江戸時代ごろに上流へと移転し、今市と呼ばれるようになります。その後この今市は寛永3年(1626)から西市と改称され、旧西の市は古市と呼ばれるようになります。
西市は、2日、10日、21日の月に3回市が立つ三斎市でした。また幕末あたりには、木屋川水運も発達し、内陸部では数少ない魚市場も開かれ、1日おきに競りが行われ、その仲買人も30余軒を数えたといいますから、この町の商業規模の大きさが分かります。木屋川水運を開いたのは長府からこの地に移り住んだ酒造家・中野家で、幕末には赤間関街道の宿場町にも指定された西市の本陣も勤めていました。
西市は豊浦郡における商工業の中心地として、戦後まで栄えていたと思われますが、時代の流れとともに過疎化も進み、商店街には廃屋や空き地も目立ち閑散としていました。
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